異端児リーマンの記録

異端児リーマンの記録

海外駐在4ヶ国目、駐在員継続によるプチ アーリーリタイアを夢見る40代中年奮闘記

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【その他6】就職氷河期ピークの就職活動体験談

お越しいただきありがとうございます。

 

本日は、20年程前、就職氷河期と言われた時代における異端児リーマンの就職活動体験(昔話)についてのお話です。


当時はパソコンが急激に普及し始めた頃ですが、まだまだ今ほどインターネットも活用されておりませんでした。
※かなり古い時代の体験記となります。

 


①氷河期時代の就職活動


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就職氷河期とは、諸説あるようであるが、一般的には1971~82年頃生まれで、1993〜2004年頃に就職活動を実施した就職難に直面した世代のことを指す。
就職氷河期という呼称に加え、失われた世代(ロストジェネレーション)とも呼ばれている。中でも、新卒求人倍率データ上、2000〜2003年をピーク期と呼んだりもするようである。

 

そもそもなぜ、このような学生にとって不運な状況になってしまったのかという点についてであるが、これはバブル崩壊の影響に他ならない。
バブルが弾け、各企業が長期的に不況の影響を受け続けた。多くの会社で、生き残りをかけ、社員のリストラだけでなく、新卒採用も絞り込み、人件費抑制を進めていたのである。

 

実際、求人倍率が低いということは、狭い門戸に学生がひしめく形となるため、希望する業界や企業に入る事ができなかった人や、正社員として働くことができなかった人も多く、まさに不遇の世代であったとも言われている。

 

最近、政府も氷河期世代を支援するために、この世代を対象とした公務員への中途採用を実施したり、支援プログラムを開始したりと、かなりの時間差ではあったものの、色々と対策に動き始めている。

 

これまで暗い面ばかりの記載となってしまったため、ここで明るい話題についても考えてみた。

この狭き門を潜った人たちは、会社では最も採用人数が少ない貴重な世代でもあり、会社はこの世代の人財を大切に扱ってくれる、また出世を目指している人には、同期世代における競争倍率が低いという良い面も持ち合わせているように感じる。

(ただ、バブル時期に大量に採用された先輩達が依然多数いるため、その世代にポストが埋め尽くされているという会社も少なくなく、手放しでは喜べない。)


②異端児リーマンの就職活動体験記


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まさに氷河期ピーク(どん底)に就職活動をすることになった異端児リーマンであるが、以下に、その就職活動状況についてまとめる。

 

A)エントリー基準
当時は、モノづくり企業に行きたいという思いが強く、製造業を中心に応募を進めていた。

 

〈製造業内での選定基準〉
世界シェアNo1の商品や技術を持っている企業
◆製造業の中でも、その業界No1企業
◆同じ製造業文系として勤務の父親推薦企業

 

具体的には、製造業で上記基準のどれかを満たしている企業の中から、色々な就職関連の本や雑誌を参考に、行きたい本命企業として7〜8社程リストアップ。
その本命企業の同業他社(ライバル企業)に広げて応募していくというやり方をとっていた。


その他、クラブの先輩が実際に行った企業、大学のゼミOB、OGからの紹介企業等、自身で意思を持って選定していない企業(中には非製造業も一部あり)へも一部応募していた。

 

B)選考過程
(記憶が正しければ)実際には30社程度エントリーしていたと思う。
そして、エントリーシート選考に合格した後は、適性検査があるところや、いきなり面接プロセスに入るところなどまちまちであった。

 

大抵の企業は、(適性検査がある場合はその後)地方の主要都市で2〜3回面接の後、本社最終面接という流れであった。

 

C)最終結
内定2社最終面談辞退4社 ※以外は不合格、途中棄権等


異端児リーマンが現在属している企業は2社目の内定であった。1社目の内定は本命企業ではなかったため、本命企業の1つでもあったこの2社目の内定で活動を終えることにした。

実際には、行きたい本命企業はあと2社残っていたのだが、ここで活動終了とした。

 

D)総括
企業研究や業界研究の観点からは、本命企業から競合企業へエントリーを広げていくやり方も一つの効率的な方法ではあったと思うが、最初から具体的に絞り込み過ぎた嫌いはあったように感じている。


実際に机上で集めた情報で、本命企業だと思っていた会社が、社員との面談を進めていくうちに、少し違っていたと感じるようになったり、非本命としていたライバル企業の方が魅力を感じることもあった。

 

とはいえ、結果として本命企業(で且つ、選考プロセスで魅力度が増した会社)の1つから内定を貰えたので、「当時の選択の中では」満足しての終了であったと言える。

 

本命企業やその業界については徹底的に事業内容や魅力となる点を研究し、父親含め様々な人から話も聞いた。

(勿論リップサービスもあるが)「よくウチのこと調べてくれましたね!」というようなコメントをもらえた面接は大抵次へ進めていた。

 

ただそれ以上に、私立文系による採用活動で恐らく大きなプラスに働いたのは、体育会でのクラブ活動とそれに絡んだ自己PRであったと感じる。


どんな会社でも、同じようなキャラクターの学生しか採用しなければ、成り立たなくなる。
つまりどれほどの大手企業や一流企業と呼ばれる会社でも、体力やバイタリティーという部分も必ず訴求点となりうるということだ。

 

E)あの頃の自分へ言いたいこと

30代でプチ アーリーリタイアを企画するようになり、他社の年収との差に興味を持つことになったのだが、その現在の異端児リーマンから当時、一切の迷いなく製造業を受けまくっていた異端児スチューデントへ言いたかったことは、

決めつけて食わず嫌いせずに、商社や金融など他の高年収業種も受けるだけ受けてみても良かったのではないか?

という点である。


色々な業種の企業に応募し受験した上で、やっぱり製造業だということであれば、正真正銘の100点だったのだが、実際受けていないためそこはわからない部分である。

 

「一点突破だけではなく、時には多面的に物事に取り組んでいく」ということが、今も昔も異端児リーマンの課題なのかもしれない。

 

↓以前の記事「バブル!氷河期!時代による〇〇世代」

hereticsalaryman.hatenablog.com

 

 

 


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